AED

最近、結構な場所で
AEDが設置されています。



でも、
みるたびに
いつ使うんだろう、と考えています。



火災報知機を眺めている感じと一緒です。




わかっています。
火災報知機は火の手が上がったら押せ、ってことは。



でも、
いざってことなのです。



度合いが、
匙加減が
わかりません。


どのくらいの火の手が上がったら?


このくらい燃えとったら、
押しても良いのか、
ってとこまで待つのか?



いろいろ考えてしまいます。



そら、極端な場合はわかるわいな。
ボウボウ火の手が上がってます。
そりゃ、考えるまでもなく、
躊躇なく押せます。




えぇ、
火災報知機は
まだわかりますともさ。
最終的に小火(ボヤ)程度で良かったね、
なんてことになれば良いんだろうな、って察しはつきます。




でもね、
AED




実際に
目前で人が倒れました。
痙攣しています、心臓が。
よし、AED



ってことには
ならんでしょう。




そんなパニックのときに
冷静に
『心臓痙攣中。』、って判断できる人は
なかなか居ないんじゃないでしょうか?
『心停止』でさえ、私には自信がありません。




『心臓止まっている見たいです。』
こんなことを言いそうです。




倒れているとはいえ
見知らぬ人に
いきなり近づくことさえ
躊躇するひとも多いのではないでしょうか?




『電気流すぞ。』は
これまた難しくないですか。



痙攣していないときに
使用しても大丈夫なんだろうか?



逆に心臓止まったりしないかな、って思わん?




想像してください。



目の前に
明らかに
ショックを受けた方が倒れている。
痙攣をしているようだ。
(何度も書きますが、この判断があやしい。)



側にはAED




みなさん、使えますか?




消火器でさえ躊躇するようなことはありませんか?



側に見方になってくれるような人が居れば、
何とか対処できるかも、知れません。



でも、
パニックになっている状況で
説明書きが理解できますか?
理解する必要がない簡単と思われる
手順を追うことができますか?



避難訓練と同じです。
練習ではタラタラやっているけど、
実際の避難時にどれくらいの方が
落ちついて行動できるか?







今回は、
絵とは関係ありませんね。




実際、
便利なものが街に溢れかえってきていますが、
使える人が居なければ
無用の長物だ、ということ。




そういうことです。




あっても、
使える人が居なければ
ないのと同じだということ。



そういうことです。






あるのに、



いるのに、



助けられなかったときが
一番悔やみきれない、ということ。




もっと、
本当の意味で普及させるつもりがあるならば、
何が必要かということ。




わかるかな、
このやるせない気持ち。




このままでは、
AED
今話題のTASPOと同じ結果になるのかな、
という予測。




AEDTASPOを次元が違う、
って怒るひともいるかも知れないけど
たぶん一緒なんじゃないかなっていう匂い。







TASPOはっつうと、



1.送り主が本人かどうかもわからないのに
  容易くカードを作成し、未成年者を守っている、
  なんて言う良くわからない自信。




煙草吸っている人の情報だけが欲しいんじゃねぇの。




カードが守るんだってよ。
側にいる人間が守らなくてどうするよ。
カードに負けている気がしないかい。




2.登録料は無料ですって記載してはいるけど、
  身分証明書/写真は自分で用意しろ、
  っていういい加減さ。



3.結局は他人が使っても買えてしまう、というゆるさ。




この結果、
おこっても不思議でない、
と思うこと。




『奪う。』




未成年者/用意できない人による
『○○狩り。』
伏せる文字、違うだろっていう、この感じ。




たとえ、
吸いたくてもTASPOは、つくらねぇよなぁ。




煙草店が軒並み潰れているってさ。



そうだろうねぇ。
だって、売ってくれないんでしょ。



ないのと同じ。
ある程度の人は
予想できるよねぇ。




で、
普及するかねぇ。



しないよねぇ。



設置はされているよ。
でも、ないのと同じ。



欲しい人は
あるところで買うさ。



それだけのこと。









話がそれたね。





で、AED




設置されていれば、
普及しているってもんじゃありません。




本当の意味で
普及していますか?



『あると安心』って言う
子供に持たせる
携帯電話みたいな
気分だけのものになってないですか?




今のところ、
性質(タチ)の悪い無駄遣いに
なっているような気が否めません。







許せる無駄なんだろうか?





『側にAEDがあったのに、
何故使わなかったんですか。』



ないよりは
あったほうが良い。




でもね…。




お得意の押し付け条例・ルール・マナーではなくて、
エチケットとして
本当に
普及させませんか。




取り締まることもできないのに、
ルールだ・マナーだ・条例だという風潮は、
『整理整頓』と書かれた部屋にいるのと
同じくらい居心地の悪いものです。


『いつもきれいに〜   ありがとう。』
とラベルの貼られた便器に対峙している気分になります。
出るものも出ません。




限られた人にだけ、講習をしています。




得てして、
そのような人の前では
必要となるような事象は発生しないものです。



誰かが言っていました。




『見ている薬缶(ヤカン)は、沸かない。』




そう、
設置するからには、
自然と
エチケットとして
誰でも
みんなが
どんな良くなさそうな人であれ、



AEDを使えます』



って言えるくらいに
普及させましょうよ。



ねぇ、みなさん、どうでしょうか。




ご清聴、ありがとう〜。











ん、何の話だっけ?



真意は伝わったかねぇ。




【BGM…STEVIE WONDER/Songs In The Key Of Life
  THE BEATLES/Past Master Vol.2】