実写化・アニメーション化

そういえば、
昔、アニメーションと言えば、
あんな事がしてみたい、こんな事が起きたら良いな、などの
憧れ・希望をこちら(現実)から夢の世界へ出掛けていく感じが素敵だった。


例えば、
ロボットを操縦して怪獣をやっつける/
魔法によって夢を叶えたい/
あらゆる知恵を駆使して財宝をさぐる、など
実現(表現)はなかなか出来ないと思われるもの。


その中には、生活的な匂いはしていたが、
現実的な人間関係に踏み込んでくることはあまりなかったように思う。
その分野はドラマ(実写)の領域だと
暗黙の了解(境界線)があったかのように…。


近年、ドラマ(実写)とアニメーションの境界線が
曖昧になっているように感じる。
というより、作り手が自分の目の前にある設定を
はたして実写とアニメーションのどちらがふさわしいか
判断できないでいるかのように映る。
こんなの作ってみましたという
話題先行・イメージ先行の
目先の物珍しさを狙っているだけのようである。



単に演者の力不足が原因なのか定かではないが、
とりわけ、人間関係の領域までアニメーションが
踏み込んできているように思えてならない。


例えば、
誰それは好きな誰かに打ち明けられない。
将来、何になりたいのかわからない、など
とても、現実的な話。


時間制限のあるドラマ(実写)では
とても表現しきれない努力的な設定を無理矢理実写化したり、
逆に人間が演じてこそ、真実味の出る心象表現を
アニメーション化してみたり。


どんどんどんどん、
実写は観ているものから遠い存在になり、
逆にどんどんどんどん、
アニメーションは
観ているものの心の中に勝手に入ってくる程
近い所に座っている。


現実にいないと思われるようなお化けや悪魔を実写化してどうする。
夜中にコンビニに買い物に行くような日常生活を
アニメーション化してどうする。
ドラマ離れ?
映画離れ?
そうだろうなぁ…。


スポーツ根性物や想像上の生命体を実写化すれば
陳腐になるおえないであろうし、
夢などを表現してきたアニメーションで
現実を投影すれば想像以上に近くの
耳元で囁かれる事となる。



【BGM…DON COVEY/Super Dude
     SHERYL CROW/C'mon C'mon
       MILT JACKSON/Plenty,Plenty Soul
        JIMMY HEATH SEXTET/The Thumper
       MILES DAVIS ALL STARS/Walkin'】